2020年1〜3月上旬までに見た映画の感想まとめ

    コロナウイルスがどうので「不要不急の外出は控えてください」と言われているこのご時世、皆さまはどうお過ごしでしょうか?

    私もつい先日親から「映画見に行くのは控えろ」と言われたばかりで、「そんなのやってられるかよ!!」という気持ちに満ちております。

    しかし実際のところ、近日公開予定の作品は軒並み公開延期の憂き目(もちろん妥当な政策だとはわかってはいますが)にあっており、映画館自ら「来るな」と訴えているような気がするのも確か。

    というわけで、今後しばらくは映画を見に行くのは仕方なく極力抑えようと思っています。

 

    その前に、しばらくの間書き溜めていた映画鑑賞の感想をここで一気に放出したいと思います。

 

  年が明けてから、映画の感想を語るということがなかったのですが、少なくとも決して何も見に行っていなかったわけではありません。むしろ結構見に行ってました。感想を書いていないだけです。

 

    2020年になってから、非常にレベルの高い新作がたくさん公開されたと思います。アカデミー賞ノミネート作品が次々と日本に上陸してきたこともあり、この2ヶ月は非常に濃いものでした。

    当のアカデミー賞も激しい戦いが繰り広げられ、個人的にはその話題だけでこの2ヶ月生きてきたような感じです。

  結果はご存知の通り『パラサイト 半地下の家族』が作品賞・監督賞・脚本賞・国際長編映画賞を受賞、しかも外国語映画初のアカデミー作品賞受賞という歴史的快挙によって幕を閉じました。しかし、ポン・ジュノ監督がスピーチで「できることならこれ(監督賞のオスカー像)を五つにわけたいくらいだ」と言ったように、候補となった作品はどれも極めて素晴らしい作品ばかり。

     例年なら「本命級」と称されるであろうほどの魅力を持った作品が一年のうちにこれでもかと多数世に放たれた、そしてそれらが一つの時期に集中して日本にやってきた、そんなイメージでした。

 

     以下、鑑賞順に感想を書いていきます。ネタバレは控えめです。

  1. パラサイト 半地下の家族
  2. ジョジョ・ラビット
  3. 1917 命をかけた伝令
  4. 野生の呼び声
  5. スキャンダル
  6. ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密

  n.???

 

1.パラサイト 半地下の家族

鑑賞日・1月20日

 2020年一番最初に見たのがこの映画でした。

 2019年の時点で、個人的に本作は見なければならないと思っていました。とりあえずアカデミー賞授賞式までになんとか見れてよかったです。

 なにせパルムドールを獲ったというだけで話題性は十分。とある劇場ではエレベーターの扉一面に広告が貼られていたりなど、注目度は非常に高く、また思わせぶりなポスターのビジュアルも相まってヤバい作品のオーラ(もちろんいい意味で)が溢れていました。

 

  しかし、韓国映画を見るのは初めてで、不安や懸念が少々あったのは事実。恐る恐るといった感じで鑑賞しました。

 

 そして、実際見てみたときの衝撃は忘れ難いものでした。

 膨張抜きで全く先の読めない展開で、見ている最中は物語がグッドエンドな方向に転ぶのかバットエンドな方向に転ぶのか予想できず、中盤からの怒涛の展開に恐れ慄いたものです。

 一見コメディ的な展開でこのまま愉快に話が進んでいくのかと思えば、ホラーやスリラーのような恐怖を感じるような空気になったりなど、一言ではまとめられない作品ジャンルの多様さもさることながら、「半地下」や「高台の豪邸」、そしてとあるもう一つの立場を絡めて描かれる生々しい格差の物語が本作の魅力だったと思います。

 

 格差を演出する表現として印象に残ったのが、とある「自然環境事象による」表現。

 その事象により、「半地下」と「高台の豪邸」に存在する覆せない差を見せつけられます。非常に現実的で、これが決して空想ではない、韓国社会に存在する問題であることを嫌でも思い知らされました。

 

 キャスト陣も注目。韓国を代表する名優ソン・ガンホ氏演じるキム・ギテクは、中盤以降において「とある人物」の「とある台詞」と「とある行動」に対した表情が見事。表情一つでキャラクターの内面を理解できてしまう。なぜ彼が「唐突なあの行動」をとったのかが自然と伝わってきます。

 また、キャストの中では長女のギジョン役を演じたパク・ソダム女史が注目されている模様。ぶっちゃけ魅了されてしまった。非常に美しい。

 

 映画的な面白さ、物語のテーマ、監督のメッセージ、いずれも高水準で共存しており、まさしくパルムドール、そしてアカデミー作品賞にふさわしい作品でしょう。

 

 兎にも角にも衝撃が大きすぎて、しばらく放心状態のようなことになったのも今となってはいい思い出。

 

2.ジョジョ・ラビット

鑑賞日・1月22日

 あまりにも衝撃的だった『パラサイト』により、私の精神は結構追いやられていました。

 見終わってからというものの、とにかく「ヤバいヤバい」としか言えなくなったような状態で、はたしてこんな状態で他の映画なんか見てられるのだろうか?と本気で心配する羽目になったものです。 

 しかし作品賞ノミネートの映画を全部見るという目標はまだ途中。こんなところでくじけるわけにはいかない、というところで、次に矛先を向けたのが本作でした。

 

 巷によると、本作は「2020年最高の愛され映画」という評判だそうで(2020年始まってまだ1ヶ月も経ってなかったのに)、もしそうだとしたらこの映画はきっと俺のこの傷ついた心を癒すオアシスとなってくれるだろう、などという訳の分からない期待を持って見に行きました。

 

 本作の舞台は、第二次世界大戦中のドイツ。熱狂的なナチズム信仰者である少年ジョジョが主人公です。そこにユダヤ人の少女をからめ、子供の視点から戦時中のドイツを描く、というお話。

 

 一応戦争映画の部類にはなるのですが、本作には殺伐とした雰囲気はなくユーモアが溢れています。その象徴とも言うべき存在が、ジョジョの空想の友達、アドルフタイカ・ワイティティ監督自ら演じているこのキャラクターは実に面白おかしいものです。

 少年であるジョジョの空想ということで、ヒトラーを模した彼も精神年齢は幼い。作中の至る所でジョジョハイルヒトラーさせ、いかにもナチス的な助言をジョジョに与えます。

 彼らの会話は非常に愉快ですが、一方で幼い少年すら毒されてしまうヒトラーのカリスマ性、そしてその思想の恐ろしさが垣間見えます。

 冒頭のビートルズの曲に合わせて映されるドイツの熱狂の様子など、本作には同時のドイツへの皮肉が描かれており、ジャンルをあえていうならブラックコメディというところでしょうか。

 

 皮肉であると同時に、本作は「反戦」というテーマも存在します。

 ここで核になるのが、ジョジョの家に匿われていたユダヤ人の少女・エルサ。ご存知のとおり、当時ユダヤ人はナチス・ドイツにより迫害されており、ドイツにいるというのは滅茶苦茶危なっかしいこと。

 エルサはジョジョの母親によって匿われており、壁の向こうに隠されていたのですが、偶然ジョジョに見つかってしまう...。

 根っからナチス思想に染まった少年と、ナチスに追われるユダヤ人少女。この最悪の組み合わせはなにをもたらすのか。ジョジョは「敵」である彼女にどう向き合うのか。

 ユーモアな世界観でありながら、ジョジョには様々な過酷な出来事が襲い掛かります。それを通じて、ジョジョナチス信仰者から変化していく...という物語です。...ネタバレのような気もするけどまあいいか。

 

 もう一つ注目したいのが、スカヨハことスカーレット・ヨハンソン演じるジョジョの母親。あんな息子を持っておきながら、実は反ナチスレジスタンス。

 彼女はとても力強く、勇敢。彼女の存在と「とある出来事」もまたジョジョの変化に影響を与えます。スカヨハの演技は一見の価値あり(ちなみにアカデミー賞では助演女優賞ノミネート)。

 

 本作に込められた「反戦」というテーマは、先述したドイツへの皮肉と、ドイツ人とユダヤ人の交流によって、「戦争はおかしいところだらけだ」というような形で描かれています。

 ナチズムを正しいと信じて疑わない少年は、敗れゆくドイツを見てどう思うか。ユダヤ人は迫害すべき存在なのか。そして、その後の世界で、彼はどう生きていくのか。

 面白おかしく描かれていても、戦争は酷いものである。間違いだらけで、絶対におかしい。そんな思いが伝わってきます。

 

 本作が「愛され映画」と言われる所以が、ジョジョ可愛らしさ。幼い男の子であるジョジョが主人公なので当然彼が中心になるわけですが、とにかく可愛い。それしか言えない。

 ジョジョを演じたローマン・グリフィン・デイヴィス君は、本作のオーディションを受けた時点でわずか11歳。それでいて演技は非常に上手く、本国では天才子役として注目を浴びているとのこと。

 ジョジョの友達・ヨーキーもまた本作の清涼剤。ショタコンの気がある人は発狂することこの上なし。

 エルサを演じたトーマシン・マッケンジー女史も注目。彼女が私と同い年だと知ったときは、世界の広さを感じざるを得ませんでした。

 

 明るいテイストながら、戦争の不純さを根底に刻み込んでおり、見た目以上に深い作品でした。

 キャスト陣のおかげで暗いムードになることもなく、戦争映画でありながら気を楽にしてみることができる。それでいて「反戦」のテーマがしっかりと伝わってくる。そしてやっぱり可愛い。

 イレギュラーながら戦争映画の一つの形としては十分アリ。満足できる作品でした。無事心も癒されました。

 

3.1917 命をかけた伝令

鑑賞日・2月19日

 アカデミー賞授賞式直後に日本公開された作品です。授賞式以前では本作が作品賞最有力とされていました。

 全編ワンカット風撮影やリアルな戦場の描写で話題になっており、「スクリーンで見るべき映画」という評価もされていたことから、期待値は非常に高いものでした。結果的に『パラサイト』に敗れたものの、スルーする理由はありませんでした。

 

 時は第一次世界大戦。イギリス軍の兵士であるトムとウィルの二人は、エリンモア将軍からあるミッションを与えられます。それは、前線にいるイギリス兵の進撃を止めろ、というもの。前線ではドイツ軍が後退しイギリスとしてはチャンスであったものの、実際はドイツ軍による戦略的なものであったことが発覚。このまま進撃してしまえば、前線の兵士は壊滅的な被害を受けることになる...。

 一つの伝令を伝えるため、トムとウィルは危険に満ちた戦場を駆け抜ける。

 

 先述の通り、本作の最大の魅力は「全編ワンカット風撮影」による圧倒的な臨場感。戦場を駆ける二人を途切れず撮影し、カメラを通じて見ている観客自身もまるで戦場にいるかのように思わせる映像作りは見事。

 その戦場のクオリティもまた高く、そこかしこに配置されたエグい死体がおぞましさを際立たせています。

 物語の展開は二転三転。静かさと激しさが交互に襲いかかり、一切の油断も許されない状況が続きます。突然どこかから銃撃というのは日常茶飯事。戦場は怖い。

 

 なにより、彼らの旅路が非常に恐ろしい。特にドイツ軍が拠点としていた場所を通るシーンはハラハラという言葉すら生温い。もしかしたらどこかに伏兵が、そうでなくともトラップがあるかも...1秒先も読めないなか、観客は単一のカメラからの目線という不安定な視覚情報を強いられる。ホラーゲームより怖い。

 

 そんな戦地を生きて駆け抜けるということがどれだけ難しいことかを嫌というほど思い知らされます。もし人と出会うことがあったら、だいたい敵兵。捕捉されたら確実に撃ってくる。命の危険が常に付き纏うことの恐ろしさとすさまじい不安がスクリーン越しの観客を包み込みます。いつ死んでもおかしくない状況が繰り広げられ、緊張感は常にMAX。

 

 一応ネタバレは防ぐスタイルなので伏せますが、終盤はそれまでのシーンを上回るスリルが待ち受けます。命の保証がない戦場を突き抜け、はたして彼らは伝令を伝えることができるのか?是非IMAXでご覧ください。これぞまさしく、スクリーンでみるべき映画です。

 

 またキャストは豪華英国俳優陣でお送りします。脇役だけどコリン・ファースベネディクト・カンバーバッチもいるよ。そこだけでも大注目。

 

 ただただ、その圧倒的な臨場感に呑まれる映画でした。最高級のハラハラドキドキを味わうことができます。「21世期最高の戦争映画」「プライベート・ライアン以来の戦争映画の傑作」という評価は伊達じゃない。

 『パラサイト』と一緒の年じゃなかったら絶対作品賞獲ってたと思ってやまない今日この頃。

 

4.野生の呼び声

鑑賞日・2月28日

 我らが大スター、ハリソン・フォード主演ということで大々的に宣伝されていた作品。

 アメリカで有名な小説の6度目の映画化ということらしいですが、不思議とそれまでの5本は一切見たことがありませんでした。日本人だったらそっちのほうが当たり前か。

 

 本作の主人公はフォード演じるハンサムおじいちゃん...ではなく、CGで描かれた犬。事前情報無しだったのでだいぶ肩透かしを食らった印象です。

 フォード自体の出番は少ない...かと思いきや後半は出ずっぱりなので期待外れということはありませんでした。

 

 物語は、主人公の犬─バックが様々な経験を通じて野生に目覚める...というもの。犬が主人公ということで実質セリフなしで主人公を追っていくことになりますが、そこはハイレベルCGにより巧みな表情変化や仕草で魅せてくれます。

 バックはもともと飼い犬だったのですが、さらわれてしまい、ソリ犬として働かされてしまいます。

 

 最初は嫌々働かされていたバックですが、だんだん仲間と打ち解けていき、次第に優秀な犬としてリーダーシップを発揮するまでになります。そんな華々しい活躍を見せた...にも関わらず、突然ソリ犬たちは解散・売却を課せられてしまい、今度はうざったい人たちに荷物運び係として買われてしまう。ここまできて、そこまでちょこちょこ出てきてきた程度(あとナレーション)のフォードがやっと本筋に絡んできます。

 

 フォードが出てきてからは立派な大冒険に。金が埋まっている川を目指す旅が始まるのです。

 

 ネタバレ防止のためストーリーを追うのはここまで。

 感想をまとめると、「特別記憶に残るというわけではないだろうけど、決して悪くはない映画」といったところでしょうか。

 惜しくも他の映画のインパクトが強すぎてどうにも負けている感が強かったです。悪くはないんだけどなぁ...。

 強いて言えば、犬好きの方ならオススメできる、ですかね。私は残念ながら犬嫌いだったからそこまで印象に残すことができなかったのかもしれませんが、犬たちのCGはクオリティが高く、ソリを引いて高速で駆け抜けるシーンは楽しいので犬が好きならきっと気にいるはず。

 「必見」というほどではありませんが、「一見の価値あり」とは言えるので、興味のある方は是非

 あとフォードは年とってもやっぱりハンサム。とはいえ本作を見て「インディ5イケるな」と思うかは貴方次第。

 

5.スキャンダル

鑑賞日・3月1日

 ハリウッド三代女優共演という宣伝文句が印象的だった本作。なんであろうとマーゴット・ロビーが出てるなら見に行くしかねぇだろ畜生という気持ちでコロナがどーのでうるさくなってる中、意地でも鑑賞。

 

 実際にあったFOXのセクハラ告発問題を題材にしたという本作。

 FOXといえばアメリカでも大手のTV局。その社内では、CEOにより女性キャスターに対してセクハラが行われていた...とのこと。

 

 セクハラ被害というのは声を大にして訴えることが難しい。自身がセクハラを受けたことの告白は「自分は汚された」という主張となり、負のレッテルを貼られるかもしれないから。それも女性キャスターという公に出る職業な以上、汚名ばかりが広まってしまうかもしれない。その点に関する女性の葛藤が足を引っ張っている...と勝手に自己解釈。

 女性キャスターとしても、胸にパッドを入れたり、脚や胸元を強調した服装でテレビに映る。これらの現実は、社会が男性優位な状況であることを生々しく描いている。本来ニュース原稿読むだけなのに色気は必要ないはずでしょ?ということ。

 

 男性優位な社会の中、女性たちが奮闘するには男性の権力者に気に入られなければならない。そのために、耐えがたい屈辱を味わっていたのだ、というメッセージが伝わってきます。

 その屈辱を世に知らしめたのがこの告発。誰もが思ってもいなかったところで苦しんでいる人たちがたくさんいたのだ、という訴え。

 

 現実でこんな下衆な行為が行われていただなんて信じたくもないと思いましたが、先述のとおり実話。

    本作でいうCEO─ロジャーのような人間は確実に現代社会に存在しています。権力者のもと、屈辱と名声を秤にかけて必死に仕事を手に入れようとする女性が存在してしまうというのが、いかに悲しいことかを思い知らされました。

 

 ...なーんか感想が薄いな、という気がします。というのも、実際のところ難しかったというのが第一です。

 話のテンポが早く、ついていくのに必死でした。なによりやっぱりある程度事前情報ないといけなかったかもしれない、と思いました。しかし、日本人にとってこの事件は残念ながら遠い海の向こうの存在、あれよあれよという間に話が過ぎていく...

    結局よくわからないまま終わってしまったという印象になってしまいました。改めて自分の理解力のなさを恨みます。

 とはいえ、本作の伝えたかったであろうメッセージはなんとなくだけど汲み取れた気がします。あくまで気がするだけ。

 一応ある程度の知識をつけてから見に行ったほうがいいと思います。なんか去年ワンハリでも同じこと言ってた気がする。

 女優陣は宣伝どおり魅力たっぷり。それも日本のカズ・ヒロ氏による完璧なメイクにより、実在の人物に限りなく近づいていたとのこと。残念だけど知識ないからよくわかんない。

 そして当初の目的であるマーゴット・ロビーは、唯一直接的な描写でセクハラを受けたこともあり、彼女の抱える葛藤が「汚れている」などのセリフ等節々から嫌というほど伝わり、素晴らしいものでした。

 以上です。やっぱり薄い。

 

6.ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密

鑑賞日・3月8日

 時はコロナ真っ盛り、場所はどう考えても危なすぎるであろう大阪難波

 気づけばうちの最寄りの劇場ではどこも本作の上映は終了しており、わざわざ大阪まで出向いてしまいました。

 この直前、『007 No Time to Die』がまさかの7ヶ月延期という衝撃的すぎるニュースが入り込み、ダニエル・クレイグのボンド卒業作はしばらくお預け、という事態が発生。

 その悲しみを少しでも埋めるため、クレイグが主演となっている本作を今更ながら鑑賞することを決めたのです。

 

 しかし、監督はあの『最後のジェダイ』で悪名高いライアン・ジョンソンいつまでネチネチ言ってるんだといい加減突っ込まれそうですが、それだけあの映画が大っ嫌いだった身としては、簡単には期待できたものではありませんでした。めんどくさいな俺。

 

 物語は殺人事件の謎解きを描いたストレートなミステリー物。

 小説家のハーランが誕生日パーティーの翌日喉を切られて死亡しているのが発見され、一見自殺として認定されるものの、謎の人物による依頼状が名探偵のブランのもとに届き、調査が始まる。

 ハーランは家族らとうまくやれていなかったらしく、殺害方法はともかく誰が殺ったとしてもおかしくないような状況。

 

 ...ネタバレ防止の前提でいくと、ストーリーに関してはここまでしか語れません。

 その後の展開が衝撃的なものばかり続き、どこから語っても面白さを削ぐかもしれないと思ったからです。

 裏を返せば、初見であればそれだけ予想外のストーリーを楽しめる、ということでもあります。

 なんだかライアン・ジョンソンってやっぱりこういうことをする監督なんだなーって思いました。今回は流石に面白かったです。

 兎にも角にもネタバレ厳禁。とにかく二転三転するストーリーを楽しめますので、是非事前情報一切なしで見てください。

 

 肝心のクレイグ演じる名探偵ですが、なんともクセになる。

 物語の痛快さに合わせ、彼が真相を暴いていくのは本当に気持ちがいい。謎を追求する姿も、ドーナツのようにぽっかり空いているだのといった面白い言い回しがグッド。早くも続編が製作予定だそうですが、もっとこの探偵の活躍を見てみたいと素直に思えました。

 

 語ってしまえばあらゆることがネタバレになるので本作の感想はこれでおしまいです。上映劇場が減ってきているので見に行く機会は少ないと思いますが、いずれ出るレンタルDVDを待ってでも見る価値はあると思います。ただ、見るまでは絶対に話の内容を追求しないようにしてください。

 

 

 

 以上、2020年に入ってから見た映画の感想でした。

 長文失礼しました。

 

 

 

 ...なにかが足りない気がする。

 でも思い出したくもないような気もする。

 見たことすら思い出したくもないような映画、そういえば一本見てしまっていたような...

 

n.CATS

鑑賞日・1月29日

 というわけで今回のトリです。

 全世界で絶不評の嵐を巻き起こし、レビューサイトでも軒並み低評価を食らった超問題作。

 あの『レ・ミゼラブル』で世界中を感動させたトム・フーパー監督の次なるミュージカル映画ということで、期待は非常に高かったのですが...

 

    実際、公開されるまでは本当に楽しみにしていました。

 ミュージカルのド定番であるあの『キャッツ』がついに映画化するということで、フーパー監督はどんなミラクルを見せてくれるのか、と期待に胸を膨らませていました。

 

 しかし、事態は一転します。

 本国アメリカで日本より一足早く公開されたものの、評価はよろしくない...を突き抜けて大バッシング大会。

 やれ「今世紀最大の災害」だの「人間には早過ぎた」だの無茶苦茶な言いよう。興収的にも大ゴケしたらしく(これはスターウォーズと合わせたのがいけない)、とてつもない不安を抱くことになりました。

 

 そうして去年の期待はどこへやら見る気も次第に失せてきた年明け。不評であることを散々語ったのにも関わらず「見に行きたい」という友人についていき、結局鑑賞してしまいました。

 まあ、やはりというか、いざ終わってみるとその友人とはその後キャッツについて話すことはほとんどなく、話題の中心は「次はなにを見に行くか」ということでした。酷い。

 

 実際何を語ればいいのやら。

 ミュージカルの内容をおそらくバカ正直に映画に落とし込んだだけなストーリー(ちなみにキャッツは公演によってそれぞれストーリーに違いがあるとのことで、必ずしもどれかの公演内容と一致しているわけではない模様)。

 割と耐性付いてた気はしたけどやっぱり不気味なビジュアル。人面猫。極め付けはGとかも一緒に人面化したこと。

 その気持ち悪さを最大限に活かしてしまったカメラワーク。

 本当に悪いところしか挙げられない。

 

 まず内容についてですが、キャッツ自体間違いなく映画には向いていませんでした。

 キャッツにストーリーはないようなもので、ただただ猫たちがパフォーマンスで自己紹介していくだけ。起伏なんてありゃしない。

 実際のところ、本家のミュージカルそのものだって賛否両論だったりしてるのだからこれを映画という形で受け入れさせるのは難しいことこの上なし。名作と長らく語られてはきましたが、今回の映画化でやっぱり一般の人はキャッツのストーリーをよく知らないのだということを改めて知りました。

 

 次にビジュアル。実際のところ、予告編を見ていくうちに慣れていったのでなんとかなった気がしていたのですが、スクリーンとのアンマッチまでは想像できませんでした。

 ボディラインは見事に人間そのもので、毛深い皮に覆われているだけのように見えます。というかなぜ胸を膨らませる。尻を突き出す。中途半端に人間っぽくした姿はどうも気色が悪く、流石に評価はできません。一番問題なのはで、まるで取ってつけたかのように人間の顔を当てはめたかのようで気持ち悪い出来に。何度も言うけど人面猫。

 んでもってその猫たちをカメラはドアップにして追いかける。気色悪さを視界いっぱいに味わうことになる。私たちはなにを見せられているのだろう。

 

 最大に解せぬ点は、Gの人面化。

 なぜあれを人間化したのか。なぜゾロゾロさせたのか。極め付けになぜ食われるところまでしっかり映したのか。ポップコーン買わずに見てよかった。

 

 はてさて、見た目の時点でダークマターのような出来で、それもストーリーなんてあってないようなもので進んでいくのですが...

 

   ...途中で寝落ちしました。

 映画鑑賞好きな人間としてあるまじき行為をしてしまいましたが、ぶっちゃけ後悔はしてません。

 いつまで経っても話は変わらず、パフォーマンスが綺麗だとか思う余地もなく。なんともいえないまま2時間を過ごしてしまいました。

 ただ、起きたタイミングでちょうどメモリーが流れてたのはいい思い出。歌声は普通に綺麗だったわけですし。

 

 本当に、なんといえばよかったのでしょうか。

 淡い期待を抱いていた去年の自分はどこへやら、しかとその目に駄作として焼き付けてしまい、長らくの間見たことさえ本当に忘れてしまっていたくらいです。

 

 ミュージカル版を初めて見たとき、少なくともこんな落胆した感情はありませんでした。

 確かに素晴らしかったのです。美しいと本気で思いました。

 なのに、なぜこの映画には共感できないのか。

 2020年は、このよくわからないモヤを明かすために費やすことになるかもしれません。いや、やっぱりどーでもいい。

 

 ...以上で、この記事は本当におしまいです。

 ありがとうございました。

映画感想 アナと雪の女王2

 前作「アナと雪の女王」が社会現象レベルの大ヒットを叩き出してからはや5年。今でも、当時のことは昨日のことのように思い出せます。

 日本中誰もが「♪ありの〜ままの〜」と口ずさみ、テレビをつければMay J.が「♪ありの〜ままの〜」と歌唱する姿を飽きるほど目にしました。カラオケでもしょっちゅう誰かが日本語版ではなく言語版で挑んでは滅茶苦茶な音程と歌詞になってしまい撃沈したのを見てきました。日本人が洋楽歌うのは無理。

 そんな中、あまりにも流行り過ぎていたということが原因で、なぜか自分はその波に乗れず遠ざかってしまっていました。多分誰もが一度は経験するやつです。つーか単純に聞き飽きてた

 公開後しばらくして、ようやく自分にもこの映画の本編を見る機会が訪れました。親の知り合いが、本作のDVDをウチに貸し出してくれたとのことでした。そんなわけで、波に乗り切れない中途半端な気持ちのまま、期待値ちょっと低めで本作を初めて鑑賞したのです。ここにきて、そういやレリゴーばっかり耳にしてたけど肝心の本編の内容の話題ってなにも聞いたことねぇなということに気づきます。

果たしてそれはぶっちゃけ内容は大したことないからなのか、そう思ってしまいさらに期待値ダウン。しかしいざ鑑賞してみるとビックリ...

 重い、いや思った以上に話が重い!!

 生まれつき持っていた魔法で妹を傷つけてしまい、扉を閉めて彼女を遠ざけ、心も閉ざしていたエルサと、姉が魔法を持っている記憶を消されて魔法の存在を知らずに育ち、姉に構ってもらえない寂しい日々を過ごしたアナ、といった二人の主人公、そしてエルサの魔法の謎を解明すべく旅にでるものの死亡した、彼女たちの両親...

 開始数分から、如何に自分がこの作品を舐めていたかを思い知らされました。 

 極め付けは、瀕死でぶっ倒れたプリンセスを救う「真実の愛」はイケメンな王子様のキスという実に『眠れる森の美女』的なもの...かと思ったらその王子様がヴィランで、アナを救った愛とは「姉妹の愛」、すなわち「家族の愛」という、ディズニーでも特に異端な内容。つってもその『眠れる森の美女』だってリメイク版の『マレフィセント』で似たようなことやってたけど。

 特に心に残ったのが、オラフの「愛するっていうのは自分よりもその人のことを大切に思えること」というセリフ。家族愛は時として盲目な恋愛よりも深いものであることを思い知らされました。

 当時中学生だった自分自身、単純なロマンスに飽き飽きしてた中でこのような物語を見せつけられ、それはもう感動というか関心というか。期待値の低さから一転、ぶっちゃけ遅すぎる感もありましたが見事ハマってしまったものです。思えば、『ゴッドファーザー』などが好きな自分にとって、家族愛という要素には弱いことがよく分かる。

 翌年、修学旅行にてとしまえん内のゲーセンで千数百円使ってまでオラフのぬいぐるみを獲りにかかったのはいい思い出。

 

 そんなわけで、「アナ雪2」は制作決定が決まってからずいぶんと長い間楽しみに待っていた作品でした。とはいえリバーサルも長かったせいで今年に入るまで忘れてたのも事実。

 劇場にて本作の予告を目にしたときは「ようやく来たか」と期待に胸を膨らませたものです。

 

 長すぎる前置きも終わり、ここからようやく「アナと雪の女王2』の感想です。ネタバレは珍しく出来る限り抑えてます。

 

 公式による本作の宣伝文句は「なぜ、エルサに力は与えられたのか─」。前作にて両親の死亡によりあやふやにされてしまった点が明らかになります。一方で「じゃあ逆にアナが一般人な理由は?」という疑問点も解決し(というかアナにもとある課題が課されていた)、前作の伏線回収はバッチリ。

 続投のお馴染みメンバーはもちろん、新キャラクター達もそれぞれ上手く物語に絡んできます。

 

 ・エルサ

 元引きこもりでなんだかんだいって構ってちゃんな姉。不思議な歌声に導かれ、「冒険にはもううんざりしてる」と言いながらも未知の旅へ踏み出す。

 今作ではついに謎が明かされることもあり、主要なスポットは基本彼女。アナよりも歌ってる曲数が多い(前作は曲数だけならアナの方が多かった)。

 アナとは「もう隠し事はしない」という約束をするものの、危険に晒したくないからかやはり今回も遠ざけてしまう。

 

 ・アナ

 とにかく明るい、アクティブな妹。

 相変わらず一人で問題を抱えようとするエルサを支えるため、共に冒険へと向かう。同時に、自身に与えられた使命を知ることとなる。

 中盤にて、これまでになかった恐怖と不安が彼女を襲う。

 個人的な感想としては、彼女の吹き替えを担当した神田沙也加女史の演技が素晴らしかった。前作以降複数のアニメやゲームで声優を務め更にレベルを上げていたこともあり、抑揚とテンポの難易度が高いアナを演じ切った。特にソロ曲となる『わたしにできること』はアナの感情の織り交ぜ方も絶妙で本職顔負け。

 

 ・クリストフ

 勇敢な心を持つ山男。

 アナへのプロポーズを計画するものの、迂闊な言葉選びや計画の甘さからか機会を逃し続けてしまう。その悲しみにより、ついにソロ曲が誕生した。

 前作と打って変わって、物語への直接的な活躍はかなり減っており、一貫してアナへの想いに揺れ続ける姿が描かれる。

 

 ・オラフ

 ハグ大好きなマスコット的雪だるま。

 ご存知の通り、某不祥事により吹き替えの声優が変更されているが、違和感は薄いどころかむしろ良くなっているとも。

 おとぼけボイスとイケボの切り替わりは前作よりさらに激しくなっている。こちらもソロ曲が登場。

 「水は記憶を持つというセリフは本作において非常に重要となる。

 ぶっちゃけ「アナ雪2」はオラフに惚れる映画。

 

 ・スヴェン

 クリストフの相棒のトナカイ。

 アナへのプロポーズを狙うクリストフをサポートする。

 ついに同類のトナカイが複数登場、そして中盤には驚きの展開を見せる。

 

 ・トロール

 クリストフの友達。

 序盤にて姉妹に放った「君たちがいるといつも問題が起こる」というセリフが的を射ており印象に残る。

 

 ・エルサとアナの両親

 魔法の秘密を探しに行きそのまま亡くなった二人。

 彼らの過去こそが本作における最重要ポイントとなる。

 

 ・ハンス

 前作のヴィラン

 『エルサのサプライズ』にてギャグ的な登場をし、もはや威厳もなにもないかと思われたが、本作においても意外な形でエルサの前に立ちはだかる。

 ...ネタバレじゃないか、だって?はて、なんのことやら...

 

   ・サラマンダー

 新キャラクター。いかにもツムツム化が似合いそうな火の精霊。

 オラフにはなかったマスコット的可愛らしさが特徴。

 

 ・その他精霊の皆様

 「ゲイル」と名付けられた風の精霊、恐ろしい土の精霊、エルサの行手を阻む水の精霊。

 そして謎に包まれた「第五の精霊」の正体とは?

 

 ・サマンサ

 ...誰?

 

 本編の内容としては、とにかくいろんな要素で鳥肌が立ちっぱなし。

 氷の美しさはもちろんのこと、今回は「秋の景色」にも注目したいところ。さまざまに色づく木の葉についウットリ。

 ストーリーの重さは変わらず、そしてより深く。 前作から「家族愛」というテーマを受け継ぎつつ、ただ謎を解明するだけでなく、人のつながりというものを深く考えさせられる内容でした。笑えるシーンもあるものの、悲しいシーンもそこそこあるので気が引けない。ただクリストフのソロ曲はシリアスなはずなのに笑ってしまう。

 ディズニーお馴染みのミュージカル部分は、今作においてもレベルが高く、サウンドトラックも聞き応え抜群。ぶっちゃけ個人的には前作よりも好き。

 単純に歌うキャラクターが増えたこともあり、バラエティは豊か。

 冒頭の『ずっとかわらないもの』はオススメの一曲。メイン部分たる大冒険の前ではあるものの、ついこんな日常が続いて欲しいと思ってしまう。

 まさしく「これが見たかった」という内容であり、大満足な映画でした。『アナと雪の女王』というシリーズに対しても、本作公開前までは「好きだけど特別ってわけでもない」ものだったのに、2を見てかなり大好きなシリーズになりました。

 その弊害として、これ以降彼女たちの冒険を見ることができないだろう(=3はなさそう)という寂しさも。結末に納得いく分、虚無感が残ってしまった。いつものことだけど。(むしろ虚無感が残るからこそ、その作品を深く楽しむことができた証拠とも考えている) 

 

 結論として、前作を見た人は是非見てほしい作品。

 続編でありがちな、活躍が残念なキャラクターや前作との空気感の違いはなく、不満はほとんどなし。監督の言う通り、2をもってアナ雪は完結し、ようやく一つの壮大な物語が出来上がるのです。

 かつて社会現象を巻き起こすほどの大ヒットを見せた名作の結末を、是非劇場で、欲を言えばIMAX見ていただきたいです。

 

 そして、観賞後にはサウンドトラックを聴くことをオススメします。

 幸いにもApple musicなど定額ストリーミングサービスでも配信されているので、本作の曲が少しでも気に入ったのなら抑えておきたいところ。

 主題歌たる「into the unknown」の歌詞の味わい深さや、結末に向かうキャラクターたちの感情を思い出し、感動をいつまでも体感できます。

 個人的には「into the unknown」は言語版エンドソングがオススメです。

映画感想 ワンスアポンアタイムインハリウッド

「絶対に公開初日に観に行く」

そう決意してからどれほどの時が経っていたのでしょうか。

気づけば映画「ワンスアポンアタイムインハリウッド」の公開日を迎え、なかなか無茶苦茶なスケジュールの中無理矢理観に行くことを決めました。

 

その結果あの有様だよ!!

 

人生初の映画鑑賞タイムロスを経験。あーもうなにやってんだ俺。

言うまでもなく本編の途中からの鑑賞となり、話になんとかして付いていこうとするのに必死になって逆によく理解できないという状態になってました。

おかげさまで最初のうちは満足に物語に浸ることもできず、流れるように時間が過ぎて行きました。

後述する解釈違いもあり、1回目の鑑賞は散々な結果で終わってしまいました。もったいない。

 

そんなことはおいといて、2度目の鑑賞を経てこの映画「ワンスアポンアタイムインハリウッド」について思ったことをだらだらと述べていきたいと思います。

今回は最初からネタバレを一切気にせず書いていくので「まだ見てない」という方はご注意いただくか今すぐ映画館へ行ってきてください。

 

今作はクエンティン・タランティーノ監督、レオナルド・ディカプリオ&ブラッド・ピット主演による、実際に起きた「シャロン・テート殺害事件」を題材とした作品となっております。

監督と主演だけでもうお腹いっぱいというような布陣ですが、更に題材とされたのは「映画界最大の闇」とも称された凶悪事件ということもあり、嫌でも本作の期待値は高まるばかりだったと思います。

実際2019年下半期の要注目作品であることは間違いなく、今後賞レースにも深く関わってくるでしょう。

 

本作で真っ先に注目すべきは、初共演となるレオナルド・ディカプリオ-レオ様と、ブラッド・ピット-ブラピが演じるコンビ、リックとクリフ。

本作は史実を下敷きとしていますが、彼らは本作オリジナルのキャラクター。そんな二人が事件にどう関わるのかが見どころです。

 

とりあえずさっさと感想に移ろうと思います。

本作をざっと一言で表すと、タランティーノという『映画好き』がハリウッドに捧げる御伽噺」とでも言いましょうか。

あるいはシャロン・テートへのレクイエム」ともいうべきか。いずれにせよ、本作はただ史実を語っているだけの物語ではありませんでした。

 

史実を下敷きにしている以上、物語の舞台は必然的に「過去」となります。本作は事件当時の1969年のハリウッドを舞台としています。直訳すれば「昔々のハリウッドにて」というタイトルの通りです。

故に本作の世界観はその時のハリウッドが再現されています。

若造の私にとってその時のハリウッドがどういったものだったのかなんてのは知る由もなく、せいぜい「アメリカンニューシネマが流行った」というネットで軽く調べれば分かる程度の情報しかありませんでした。

だというのに、作中での風景を見るとなぜか奇妙な懐かしさを感じるのです。

確かにこれは昔のお話なのだと映像だけで理解でき、そしてその映し出される景色にノスタルジックを抱く。(意味が重複しててごめんなさい)

とにかく、作品内の世界は完全に1969年のハリウッドなのだと認識させられます。言葉では言い表しにくいですが、とにかくそういうことです(語彙力不足)。

建物、音楽、車、流れる音楽...登場する数々の要素が、見事に当時のハリウッドを描き出しているのだと思いました。

そしてそんな景色を車で走り抜ける...もう感無量。

とにかく本当にすごいのです。是非その目と耳でお確かめください。

 

さて、そんな世界観の中、物語の中心人物となるのがリック&クリフのコンビなわけですが、この二人はただ「名スターが演じている」というだけに収まらない、非常に魅力的なキャラクターとなっております。

かつては有名なテレビシリーズの主演として名を馳せたものの今ではピークが過ぎキャリアに危機感を抱く俳優「リック・ダルトン」。

そんなリックのスタントマンを務め、私生活においても彼をサポートする「クリフ・ブース」。

この二人の友情はまさしくパーフェクト。ぶっちゃけこの二人が会話してるシーンだけでも面白いくらいです。

レオ様とブラピの演技は見事であり、見所たっぷりです。

リックは一応「落ち目」という設定ですが、レオ様が演じるとそうは見えなくなってしまう...ということにはなっておらず、酒を飲みまくった挙句セリフを忘れヤケになったり共演した子役に演技を褒められ涙するなど情緒不安定な姿を見せつけ「映画スターというには遠い」彼を演じきっています。

そんなリックに対しクリフは常にクール。時にはスタントマンらしく派手なアクションも見せてくれ、とてもカッコいいキャラクターとなっています。そしてなんといってもブラピにとってものすごいはまり役でした。「リックが眩む」というほどではないですが、クリフは本作において一際輝いて見えるのです心に余裕があるからというのもありますが、なによりただただブラピがかっこよかった。とにかく魅せてくれます。

リックとクリフというキャラクターは非常に高いレベルで出来上がっており、より物語への没入感を高めてくれるのです。

 

とはいえ、二人は(主にクリフが)全盛期を過ぎて落ち目のというような存在。

それに対するが、史実からの登場となる女優「シャロン・テート」と映画監督「ロマン・ポランスキー」。

結婚を迎えまさに人生これから...という二人がクリフの隣に引っ越してきてから、この物語は動き出します。

 

史実通りに進めば、この殺人事件という形で消え去ってしまいます。

シャロン・テート殺害事件」とは、映画界から非情にもを奪った、忌々しい悲劇なのです。

 

では、本作はこの殺人事件の発生により悲劇的に幕を閉じるのか?

結論から言えば「ノー」。この物語は、まさかの「殺人事件が起きずに終わる」という衝撃的な結末を迎えたのです。

終盤の展開は、「殺人事件の犯人たるチームがリックとクリフ(と飼い犬のブランディ)の返り討ちに遭い退場する」といったものでした。

リックとクリフという「フィクションの」キャラクターが、史実を変えてしまったのです。

これはなんと大胆なことでしょうか。あったことをなかったことにしてしまう。日本で例えるなら、本能寺の変から織田信長を救う...もしくは、明智光秀本能寺の変が起きるより先に殺すようなものです。

なぜタランティーノ監督はこのような結末を作ったのでしょうか。

 

作中にて、殺害事件を引き起こしたマンソン・ファミリーのメンバーは映画について非難するような発言をしています。

曰く、俳優は他人の書いたセリフを言うだけだから人としては嘘くさいだの、演技での殺害を通じて自分たちに「殺し」を教えている、らしいです。

その他にも、スパーン映画牧場を、経営者だったジョージを誘惑し騙して奪い自身たちの拠点としています。その結果映画牧場は一部見るも絶えない姿に...

彼らは映画に対して何らアンチ的な意見を持っているかのように見えました。

そんな彼らを、映画に情熱をかけた二人がぶちのめすところに深い意味があるのではないでしょうか。

 

本作は、映画に関わる人たちを軸に描かれています。

その中で注目したいのは、リックの出演する西部劇の撮影のシーンです。

落ち目を感じ始めた彼は、とある西部劇映画の悪役として出演することになります。そこで上手くキメてみせようとするものの、酒を飲みまくったせいでセリフを忘れ、大恥をかきます。一つのシーンで何度もセリフを忘れてしまう。ついにはセット内でヤケになってしまい、とても無惨な姿を見せました。

楽屋では更に暴走し、fワードをはじめとした過激な言動を繰り返しながら物を投げつけたり気づいたら元凶だったアルコールに無意識に手を伸ばしてしまったり、挙句無様な自分を認めて泣き出してしまいます。

ここで重要なのは、リックは「自分が情けない」という認識をしていること。誰かのせいではなく、自分が全て悪いのだと理解しているのです。その後再び真っ向からセリフ覚えに取り組んでいるのを見ると、彼が演技に対して真剣に取り組もうとしているのが分かります。

次のシーンでは、(先述しましたが)撮影のあと共演した子役に「人生最高の演技だった」と褒められ涙する彼の姿が。これは一見ギャグシーンにも見えますし実際笑っている方もいましたが、何気ない言葉で涙してしまうほど、リックが演技に情熱を込めていたことが伺える素敵なシーンだと思いました。

他にもシャロンが自身の出演作を映画館で鑑賞し他の観客の反応を見たり、リックと共演した子役は高いプロ意識と演技にかける信念を持っていたり、ブルース・リーが長々と語ったり、本作は「役者の視点」から見た映画の姿を描いています。

間違いなく、彼らは映画を「素晴らしいものだ」と思ってやまないはずです。

 

一方、マンソン・ファミリーは映画を非難する。

史実では、このマンソン・ファミリーこそが残酷な事件を起こし、映画界に大きな傷跡を残しました。

故に、本作は映画の力をもってして、映画を傷つけた彼らを倒してみせたのです。

リックとクリフが返り討ちを食らわすのは、そういった「映画を愛する」故の意図があったからなのでしょう。

の関係においても、かつては光っていたものの今はもう消えてしまいそうになっている闇が、未来を担う新たな光を救うという構図になっており、これまた面白い。

こうして、映画の素晴らしさは受け継がれるのです。

 

これはまさしく「映画だからできること」なのだと思いました。

本作は「映画の素晴らしさ」を全編にわたって描き、ラストで映画だからできる最高の展開を描き出したのです。

映画によって悲劇を否定する。無茶苦茶ですが、故に面白いのです。

 

作品内において、シャロン・テートは生存しました。彼女は女優として、これから明るい未来を歩んでいくのです。

それだけでなく、本作ではシャロンがとてもいきいきしています。

先述した「映画館で自身の作品を楽しむ」彼女の姿は、今ではすっかり映画界の闇の象徴というレッテルを貼られ、悲劇の人物として語られてしまった彼女からは想像もできないものでしょう。

タランティーノ監督は、シャロンをただ悲劇の人物として扱うのではなく、こうして人生を謳歌する姿を描くことで、シャロン救ってみせたのです。

「こんな姿があったかもしれない」そんな妄想が、シャロンを「かわいそうな被害者」ではなく「映画を愛した女優」に変えたのです。これもまた、映画だからこそできることなのでしょう。

故に、「シャロンに捧げるレクイエム」なのです。きっと、あの世にいるシャロンは、フルボッコにされるマンソン・ファミリーの姿に苦笑いしながら、本作を楽しんでいるでしょう。下手に事実を書かれて「また殺される」よりかは、こうして喜劇になることこそ本人にとっても喜ばしいことのはずです。

 

本作は、ハリウッドの闇を打ち破ってみせ、映画にを取り戻してみせたのです。

故に「ハリウッドに捧げる」。ひいては、「映画に捧げる」

映画好きのタランティーノが映画に捧げる映画、それこそが本作「ワンスアポンアタイムインハリウッド」なのです。

「事前知識のハードルがやや高め」という条件こそあるものの、「映画好き」ならば本作はきっと楽しめるはずです。

映画だからこそできる、「昔々のハリウッドの御伽噺」。この作品は、私たちに改めて「映画の素晴らしさ」を教えてくれたのです。

 

さて、ここからはややマイナスな点を。

「事前知識のハードルがやや高め」と先程記しましたが、本作は全編通して実際のシャロン・テート殺害事件の説明が入りません。

ようするに、観客には殺害事件の情報はあることが前提ということなのです。

「映画界の闇」というだけあってこの事件はよく知られているのでしょうが、知らない人は全く知らないし、なにより日本人には更に馴染みが薄い。

冒頭にて、私は「解釈違いで1回目は楽しめなかった」と書きましたが、元凶はこの事件の情報がからっきしだったからです。

私が持っていた事前知識は、「この映画は昔あった殺害事件を題材としている」...以上。

「誰が殺されたのか」とかは一切知りませんでした。

それに冒頭見逃しが重なり、私は見逃した部分で事件が起きたのだと勝手に思い込み、さらに混乱を招きました。

誰が殺されたのか知らない以上、シャロンの名前を聞いてもなんにも思わなかったし、最後のアクションは面白かったものの結局殺人事件ってなんだったの?という感想を抱いて終わってしまいました。

本作を鑑賞するにあたり、シャロン・テート殺害事件についての知識はある程度必要になります。

なにせ作中で一切フォローが入らない。知らない人はラストシーンで置いてけぼりを食らうでしょう。

この事前知識の差で本作の感想は見事に割れてしまうでしょう。映画が好きで、非常に詳しい人はすごく楽しめるが、映画は好きでも詳しいわけではない人にとっては正直つまらないと思います。

シャロンを生かすため」にも、この事件を語ることは避けるべきというのは分かりますしぶっちゃけどうしようもないですが、知識の差で面白さが変わるのはちょっともったいないかな、と思いました。どうしようもないけど。

 

そして、関係者に怒られたということで話題になったブルース・リーの描写。

クリフにあっさり投げ飛ばされる姿は笑いを誘いますが、ファンにはたまったものではないでしょう。

とはいえ、これも含めての「御伽噺」。ブルース・リーを倒すのもまた、映画だからできることなのでしょう。この辺りもまた評価が割れそう。というか割れてる。

 

あと、fワードが多い。PG12故に覚悟しておくべきではありますが、汚い印象を向けられることもあるので、少なくとも万人向けではないでしょう。

後日追記・この後「パルプ・フィクション」をはじめとした、タランティーノ監督作品を複数鑑賞しましたが、むしろこれが平常運転とのこと。What a f●ck!?

というか、前に見た「ロケットマン」もfワード多めだったせいもありここ最近映画館でやたらとfワードを耳にした印象があります。

 

とまあいろいろ書きましたが、自分は本作に対しては非常に好意的であります。

「映画好きにこそおススメしたい」そんな映画だったと思いました。

また、本作を観て、より一層映画に詳しくなりたいとも思いました。

 

あと、ブラピはもしかしたらオスカーノミネート、ひいては初の受賞にいくかも、というか是非獲ってほしい。とにかく、滅茶苦茶カッコよかった。

彼の勇姿を、是非スクリーンでご覧ください。

映画感想 トイ・ストーリー4 ネタバレ解禁版

注意!!

以下の内容は一切ネタバレを自重しておりません。

「まだ見ていない」という方は万全の注意を払うか、ページを閉じてすぐ劇場へ行ってください。

自重版はこちら→映画感想 トイ・ストーリー4 ネタバレ自重版 - 暇人による無駄に長い映画感想

 

さて、トイ・ストーリー4には賛否両論様々な意見が寄せられました。

私も本作に関しては「良かった」と心から思えるか?と聞かれると疑問符がついてしまいます。

それは、私の中における「続編でやってはいけないこと」の定義が原因です。

 

私の思う「やっちゃいけないこと」。

それはズバリ、「前作の否定」です。

物語の進展や急展開のために過去の内容を易々と覆すことは、シリーズを終焉に導く最大の要因だと思っています。

 

私はこの例として、「スターウォーズ/最後のジェダイ」を挙げたいと思います。

この作品が、公開直後に世界中で大論争を巻き起こしたということは記憶に新しいでしょう。

曰く、「神話への叛逆」です。

「フォースの覚醒」以前の6作で語られてきた「スカイウォーカー一族の神話」を、「最後のジェダイ」はたった一作で壊滅させたのです。

この行為を、「マンネリ化からの脱却」や「良い思い切り」として評価する人もいれば、「シリーズの崩壊」「商業優先の滅茶苦茶なシナリオ」として酷評する人もいました。

 

そういったことが、トイ・ストーリー4にも起こっているのです。

終盤、ウッディはボニーやバズたちの元を離れるという選択を選びます。

かつて、ウッディは博物館に展示されて名声を得るよりもアンディのおもちゃとして日々を暮らすことを選ぶほど、「子供のそばにいる」ということの重要性を重んじていたはずなのに、この選択はなんなんだ、という意見が噴出しました。

私も、そのシーンにたどり着いた時、頭が空っぽになってしまいました。

あまりにも唐突なウッディの心情の変化に、ついていけなかったのです。

 

たしかにおもちゃとはいえ人間的な感情がある以上、心情が変わるということはありえないことではありません。

そのため、この決断を「ウッディの成長」として好意的に見ることができないわけではありません。

それでも私がこの結末を受け入れられなかったのは、とにかく「唐突だった」の一言に過ぎます。

なぜなら、そのシーンの手前まで、ウッディはフォーキーとともに必死にボニーの元へ帰ろうとしていたからなのです。

この展開を迎える伏線のようなものがあった気がしないのです。

 

これまでの三部作で深い友情を築いていたウッディとバズが別れるシーンは、この作品に愛着が深い人ほど、ショッキングが大きいと思います。

とはいえ、そんな展開が物語としてありえないというわけはありません。あらゆる出会いには別れがある。それは正しい。それでも私がこれを呑み込めなかったのは、ただただ「唐突だった」からです。

 

ウッディはアンディとは違いボニーにはあまり遊ばれませんでした。

性別の違いから、アンディのときのように上手くいかないのは仕方ないのかもしれません。

しかし、この事実は「3」終盤のアンディとの約束を裏切っていることに違いはありません。

 

アンディがウッディと別れるのは、本人にとって相当厳しい決断だったと思います。

だというのに、本作はそれを冒頭で易々と無駄にしました。

落ちぶれたウッディを見たいファンでもいたのだろうか?否、そんなのはありえない。おもちゃとして相変わらず子供を喜ばせる姿のほうが見たいに決まっています。

この点で、本作は「3」のラストを否定していると言えます。

「3」で与えられた希望を、本作はあっさりと破ったのです。

 

ウッディはボニーの元に戻るのが嫌になってしまったのか?

本作で終始一貫したウッディの散々な扱いを見て、「そりゃ別れたくもなるがな」という感想を抱く人もいます。しかし、腐ってもあのウッディですよ?

先にも書いたとおり、子供を楽しませることを至上の命題としていた彼が、一体どういう経験をしたらあのような変化をしてしまうのか?

そのあたりの過程が少なく、あったとしても薄かったというのが私の印象です。

 

最大の疑問は、なぜボニーをこんなキャラクターにしてしまったのか、ということです。

前作にてアンディからおもちゃを譲り受けたボニーですが、あんな描かれ方では彼女に対する印象は最悪です。

ボニーにヘイトを向けさせる意図が掴めませんでした。

ただただ、アンディの願いを踏みにじっているとしか思えませんでした。

 

本作でもう一つ留意しておくべきポイントとして、「既存キャラクターの活躍が少ない」ということが挙げられます。

本作はずっとウッディやボーたちにスポットが当てられており、それらとは別行動のお馴染みのメンバーは滅多にスクリーンに姿を現しません。

「全くなにもやらなかった」わけではないとしても、どうにもアクションが少なかったことは否めません。

そのかわりとして新キャラクターたちが縦横無尽に暴れまわりますが、「最終作」なら彼ら含め全員で大暴れするべきじゃないのか?と思いました。

 

とにかく、腑に落ちないのは「続編としての意義」。

「3」の結末を踏みにじり、ボニーに意味もなくヘイトを集めさせ、そして信じたくなかった結末を迎える。

これが「3」で終わっていたら、ウッディはバズたちとともにずっとずーっと子供たちを楽しませていたのでしょう。

そんな明るい予想を直々に破壊された以上、本作を素直に肯定したくありません。

ウッディの成長に関しても、描写の少なさのせいで理解ができないまま終わってしまいました。

 

もし、本作の出来事をアンディが知ったら、どう思うでしょうか?

信じて送り出した大切な友達が、見放されて結果的にどこかへ行ってしまったと知ったら...。

託した望みは、彼の知らぬところで、ひっそりと消え去ってしまったのです。

ウッディの決断も、アンディのことを思えばありえないことだと思います。

 

「あなたはまだ本当のトイ・ストーリーを知らない」

はたして、これが本当に「本当のトイ・ストーリー」だったのでしょうか?

 

以上で、私の「トイ・ストーリー4の感想」を閉めたいと思います。

ありがとうございました。

 

 

映画感想 トイ・ストーリー4 ネタバレ自重版

7月15日

トイ・ストーリー4を鑑賞してきましたので、その感想を綴りたいと思います。

こちらの記事では、ネタバレは抑えめで参ります。

「ネタバレOK」という方も、先にこちらを読んで頂ければ幸いです。

 


シリーズ完結編として銘打たれ世に放たれた「トイ・ストーリー3」からはや8年、突如「3の続編」として姿を現した「トイ・ストーリー4」。

「あなたはまだ、本当のトイ・ストーリーを知らない」というありきたり...もとい、スタッフの絶対的な自信を窺わせるキャッチコピーを据え、公開前までに大きな注目を集めていました。

「意義がなければ続編は作らない」というのがモットーのはずのピクサーが、なぜ急に続編を作る気になったのか?そして、改めて最終作としてアナウンスされた本作は、どんな物語を紡ぐのか?様々な疑問を浮かべながら、本作は公開の時を迎えました。

 


さて、いざ公開されたと思ったらあらビックリ。映画レビューには賛否両論の嵐が巻き起こっていました。

なんだかんだ言って「まあピクサーだし大丈夫でしょ」という安心感があっただけに、驚きの結果です。

一体なにがレビュワーに不満をもたらしたのか?ネタバレに触らないギリギリの部分の情報を断片的に得ながら、その謎を解消すべく私も本日ついに本作鑑賞へと向かいました。

 


私の最終的な感想を言うと、「ああ、そりゃ賛否両論になるわ」というものでした。

「想像を超える結末」。それがなにを意味していたのかが分かると、なんだかモヤモヤした気持ちになりました。

 


たしかにラストは衝撃的でした。

なにが、どう衝撃的だったのか。本作の評価はそこで決まると思います。

この点については、ネタバレ解禁版で詳しく書いていこうと思います。

 


個々の部分で見ていくと、アニメーションに関しては確かな「進化」を感じました。

初代作「トイ・ストーリー」は、1995年当時としてはありえない高クオリティな映像が評価され、24年前の作品でありながら現在でも十分鑑賞に耐えうるものでした。

本作では、その初代作の唯一の懸念であった「おもちゃたち以外、特に外の風景のリアリティが薄い」件について、ものすごく改善されていたと思います。

雨の降るカットはもはや実写と見紛うレベルです。

まだ極まるかピクサー。映像面は見ていてまったく飽きません。

 


新キャラクターたちも大活躍してくれます。

一方で、既存キャラクターたちに関してはちょっと活躍少なめだったかな?という印象。

新キャラクターを立てるため仕方なかったとも言えますが、なんだか少し残念でもあります。

 

注目はやはり新メインのフォーキー。

その「おもちゃ」とよぶには疑問符がつくような外見や、登場早々ゴミ箱に走ったりしばらくの間ずっと「僕はゴミだ〜」と言い続けており、存在感は抜群で、それでいてなぜかイライラしない。

そんな彼がウッディと共にいることでどう変わっていくかも必見です。

 

また、トイ・ストーリーではお馴染み(?)のドッキリ要素も存在。

...しかし、いかんせん回数が無駄に多く一回の衝撃は少ないかもしれません。

ただ、自分の近くにいたお子さんは映画中にそのシーンが原因で泣き出しちゃってました。ヒエっ。

 

...と、ネタバレなしで行くとこのくらいでしょうか。

なんにせよ、気にいるかどうかは本当に「その人に委ねられる」というくらいのもので、「おすすめしない」とは断言しませんし、かといって「絶対面白い」とも言えません。

ウッディが最後に下した決断とは。そして、それは正しいことなのか。このあたりの感想はまさしく千差万別、故に賛否両論。

とにかく気になるという方は、ぜひ劇場へ足をお運びください。

 

次はネタバレ解禁版をあげます。→映画感想 トイ・ストーリー4 ネタバレ解禁版 - 暇人による無駄に長い映画感想