映画感想 ワンスアポンアタイムインハリウッド
「絶対に公開初日に観に行く」
そう決意してからどれほどの時が経っていたのでしょうか。
気づけば映画「ワンスアポンアタイムインハリウッド」の公開日を迎え、なかなか無茶苦茶なスケジュールの中無理矢理観に行くことを決めました。
その結果あの有様だよ!!
人生初の映画鑑賞タイムロスを経験。あーもうなにやってんだ俺。
言うまでもなく本編の途中からの鑑賞となり、話になんとかして付いていこうとするのに必死になって逆によく理解できないという状態になってました。
おかげさまで最初のうちは満足に物語に浸ることもできず、流れるように時間が過ぎて行きました。
後述する解釈違いもあり、1回目の鑑賞は散々な結果で終わってしまいました。もったいない。
そんなことはおいといて、2度目の鑑賞を経てこの映画「ワンスアポンアタイムインハリウッド」について思ったことをだらだらと述べていきたいと思います。
今回は最初からネタバレを一切気にせず書いていくので「まだ見てない」という方はご注意いただくか今すぐ映画館へ行ってきてください。
今作はクエンティン・タランティーノ監督、レオナルド・ディカプリオ&ブラッド・ピット主演による、実際に起きた「シャロン・テート殺害事件」を題材とした作品となっております。
監督と主演だけでもうお腹いっぱいというような布陣ですが、更に題材とされたのは「映画界最大の闇」とも称された凶悪事件ということもあり、嫌でも本作の期待値は高まるばかりだったと思います。
実際2019年下半期の要注目作品であることは間違いなく、今後賞レースにも深く関わってくるでしょう。
本作で真っ先に注目すべきは、初共演となるレオナルド・ディカプリオ-レオ様と、ブラッド・ピット-ブラピが演じるコンビ、リックとクリフ。
本作は史実を下敷きとしていますが、彼らは本作オリジナルのキャラクター。そんな二人が事件にどう関わるのかが見どころです。
とりあえずさっさと感想に移ろうと思います。
本作をざっと一言で表すと、「タランティーノという『映画好き』がハリウッドに捧げる御伽噺」とでも言いましょうか。
あるいは「シャロン・テートへのレクイエム」ともいうべきか。いずれにせよ、本作はただ史実を語っているだけの物語ではありませんでした。
史実を下敷きにしている以上、物語の舞台は必然的に「過去」となります。本作は事件当時の1969年のハリウッドを舞台としています。直訳すれば「昔々のハリウッドにて」というタイトルの通りです。
故に本作の世界観はその時のハリウッドが再現されています。
若造の私にとってその時のハリウッドがどういったものだったのかなんてのは知る由もなく、せいぜい「アメリカンニューシネマが流行った」というネットで軽く調べれば分かる程度の情報しかありませんでした。
だというのに、作中での風景を見るとなぜか奇妙な懐かしさを感じるのです。
確かにこれは昔のお話なのだと映像だけで理解でき、そしてその映し出される景色にノスタルジックを抱く。(意味が重複しててごめんなさい)
とにかく、作品内の世界は完全に1969年のハリウッドなのだと認識させられます。言葉では言い表しにくいですが、とにかくそういうことです(語彙力不足)。
建物、音楽、車、流れる音楽...登場する数々の要素が、見事に当時のハリウッドを描き出しているのだと思いました。
そしてそんな景色を車で走り抜ける...もう感無量。
とにかく本当にすごいのです。是非その目と耳でお確かめください。
さて、そんな世界観の中、物語の中心人物となるのがリック&クリフのコンビなわけですが、この二人はただ「名スターが演じている」というだけに収まらない、非常に魅力的なキャラクターとなっております。
かつては有名なテレビシリーズの主演として名を馳せたものの今ではピークが過ぎキャリアに危機感を抱く俳優「リック・ダルトン」。
そんなリックのスタントマンを務め、私生活においても彼をサポートする「クリフ・ブース」。
この二人の友情はまさしくパーフェクト。ぶっちゃけこの二人が会話してるシーンだけでも面白いくらいです。
レオ様とブラピの演技は見事であり、見所たっぷりです。
リックは一応「落ち目」という設定ですが、レオ様が演じるとそうは見えなくなってしまう...ということにはなっておらず、酒を飲みまくった挙句セリフを忘れヤケになったり共演した子役に演技を褒められ涙するなど情緒不安定な姿を見せつけ「映画スターというには遠い」彼を演じきっています。
そんなリックに対しクリフは常にクール。時にはスタントマンらしく派手なアクションも見せてくれ、とてもカッコいいキャラクターとなっています。そしてなんといってもブラピにとってものすごいはまり役でした。「リックが眩む」というほどではないですが、クリフは本作において一際輝いて見えるのです。心に余裕があるからというのもありますが、なによりただただブラピがかっこよかった。とにかく魅せてくれます。
リックとクリフというキャラクターは非常に高いレベルで出来上がっており、より物語への没入感を高めてくれるのです。
とはいえ、二人は(主にクリフが)全盛期を過ぎて落ち目の闇というような存在。
それに対する光が、史実からの登場となる女優「シャロン・テート」と映画監督「ロマン・ポランスキー」。
結婚を迎えまさに人生これから...という二人がクリフの隣に引っ越してきてから、この物語は動き出します。
史実通りに進めば、この光は殺人事件という形で消え去ってしまいます。
「シャロン・テート殺害事件」とは、映画界から非情にも光を奪った、忌々しい悲劇なのです。
では、本作はこの殺人事件の発生により悲劇的に幕を閉じるのか?
結論から言えば「ノー」。この物語は、まさかの「殺人事件が起きずに終わる」という衝撃的な結末を迎えたのです。
終盤の展開は、「殺人事件の犯人たるチームがリックとクリフ(と飼い犬のブランディ)の返り討ちに遭い退場する」といったものでした。
リックとクリフという「フィクションの」キャラクターが、史実を変えてしまったのです。
これはなんと大胆なことでしょうか。あったことをなかったことにしてしまう。日本で例えるなら、本能寺の変から織田信長を救う...もしくは、明智光秀を本能寺の変が起きるより先に殺すようなものです。
なぜタランティーノ監督はこのような結末を作ったのでしょうか。
作中にて、殺害事件を引き起こしたマンソン・ファミリーのメンバーは映画について非難するような発言をしています。
曰く、俳優は他人の書いたセリフを言うだけだから人としては嘘くさいだの、演技での殺害を通じて自分たちに「殺し」を教えている、らしいです。
その他にも、スパーン映画牧場を、経営者だったジョージを誘惑し騙して奪い自身たちの拠点としています。その結果映画牧場は一部見るも絶えない姿に...
彼らは映画に対して何らアンチ的な意見を持っているかのように見えました。
そんな彼らを、映画に情熱をかけた二人がぶちのめすところに深い意味があるのではないでしょうか。
本作は、映画に関わる人たちを軸に描かれています。
その中で注目したいのは、リックの出演する西部劇の撮影のシーンです。
落ち目を感じ始めた彼は、とある西部劇映画の悪役として出演することになります。そこで上手くキメてみせようとするものの、酒を飲みまくったせいでセリフを忘れ、大恥をかきます。一つのシーンで何度もセリフを忘れてしまう。ついにはセット内でヤケになってしまい、とても無惨な姿を見せました。
楽屋では更に暴走し、fワードをはじめとした過激な言動を繰り返しながら物を投げつけたり気づいたら元凶だったアルコールに無意識に手を伸ばしてしまったり、挙句無様な自分を認めて泣き出してしまいます。
ここで重要なのは、リックは「自分が情けない」という認識をしていること。誰かのせいではなく、自分が全て悪いのだと理解しているのです。その後再び真っ向からセリフ覚えに取り組んでいるのを見ると、彼が演技に対して真剣に取り組もうとしているのが分かります。
次のシーンでは、(先述しましたが)撮影のあと共演した子役に「人生最高の演技だった」と褒められ涙する彼の姿が。これは一見ギャグシーンにも見えますし実際笑っている方もいましたが、何気ない言葉で涙してしまうほど、リックが演技に情熱を込めていたことが伺える素敵なシーンだと思いました。
他にもシャロンが自身の出演作を映画館で鑑賞し他の観客の反応を見たり、リックと共演した子役は高いプロ意識と演技にかける信念を持っていたり、ブルース・リーが長々と語ったり、本作は「役者の視点」から見た映画の姿を描いています。
間違いなく、彼らは映画を「素晴らしいものだ」と思ってやまないはずです。
一方、マンソン・ファミリーは映画を非難する。
史実では、このマンソン・ファミリーこそが残酷な事件を起こし、映画界に大きな傷跡を残しました。
故に、本作は映画の力をもってして、映画を傷つけた彼らを倒してみせたのです。
リックとクリフが返り討ちを食らわすのは、そういった「映画を愛する」故の意図があったからなのでしょう。
光と闇の関係においても、かつては光っていたものの今はもう消えてしまいそうになっている闇が、未来を担う新たな光を救うという構図になっており、これまた面白い。
こうして、映画の素晴らしさは受け継がれるのです。
これはまさしく「映画だからできること」なのだと思いました。
本作は「映画の素晴らしさ」を全編にわたって描き、ラストで映画だからできる最高の展開を描き出したのです。
映画によって悲劇を否定する。無茶苦茶ですが、故に面白いのです。
作品内において、シャロン・テートは生存しました。彼女は女優として、これから明るい未来を歩んでいくのです。
それだけでなく、本作ではシャロンがとてもいきいきしています。
先述した「映画館で自身の作品を楽しむ」彼女の姿は、今ではすっかり映画界の闇の象徴というレッテルを貼られ、悲劇の人物として語られてしまった彼女からは想像もできないものでしょう。
タランティーノ監督は、シャロンをただ悲劇の人物として扱うのではなく、こうして人生を謳歌する姿を描くことで、シャロンを救ってみせたのです。
「こんな姿があったかもしれない」そんな妄想が、シャロンを「かわいそうな被害者」ではなく「映画を愛した女優」に変えたのです。これもまた、映画だからこそできることなのでしょう。
故に、「シャロンに捧げるレクイエム」なのです。きっと、あの世にいるシャロンは、フルボッコにされるマンソン・ファミリーの姿に苦笑いしながら、本作を楽しんでいるでしょう。下手に事実を書かれて「また殺される」よりかは、こうして喜劇になることこそ本人にとっても喜ばしいことのはずです。
本作は、ハリウッドの闇を打ち破ってみせ、映画に光を取り戻してみせたのです。
故に「ハリウッドに捧げる」。ひいては、「映画に捧げる」。
映画好きのタランティーノが映画に捧げる映画、それこそが本作「ワンスアポンアタイムインハリウッド」なのです。
「事前知識のハードルがやや高め」という条件こそあるものの、「映画好き」ならば本作はきっと楽しめるはずです。
映画だからこそできる、「昔々のハリウッドの御伽噺」。この作品は、私たちに改めて「映画の素晴らしさ」を教えてくれたのです。
さて、ここからはややマイナスな点を。
「事前知識のハードルがやや高め」と先程記しましたが、本作は全編通して実際のシャロン・テート殺害事件の説明が入りません。
ようするに、観客には殺害事件の情報はあることが前提ということなのです。
「映画界の闇」というだけあってこの事件はよく知られているのでしょうが、知らない人は全く知らないし、なにより日本人には更に馴染みが薄い。
冒頭にて、私は「解釈違いで1回目は楽しめなかった」と書きましたが、元凶はこの事件の情報がからっきしだったからです。
私が持っていた事前知識は、「この映画は昔あった殺害事件を題材としている」...以上。
「誰が殺されたのか」とかは一切知りませんでした。
それに冒頭見逃しが重なり、私は見逃した部分で事件が起きたのだと勝手に思い込み、さらに混乱を招きました。
誰が殺されたのか知らない以上、シャロンの名前を聞いてもなんにも思わなかったし、最後のアクションは面白かったものの結局殺人事件ってなんだったの?という感想を抱いて終わってしまいました。
本作を鑑賞するにあたり、シャロン・テート殺害事件についての知識はある程度必要になります。
なにせ作中で一切フォローが入らない。知らない人はラストシーンで置いてけぼりを食らうでしょう。
この事前知識の差で本作の感想は見事に割れてしまうでしょう。映画が好きで、非常に詳しい人はすごく楽しめるが、映画は好きでも詳しいわけではない人にとっては正直つまらないと思います。
「シャロンを生かすため」にも、この事件を語ることは避けるべきというのは分かりますしぶっちゃけどうしようもないですが、知識の差で面白さが変わるのはちょっともったいないかな、と思いました。どうしようもないけど。
そして、関係者に怒られたということで話題になったブルース・リーの描写。
クリフにあっさり投げ飛ばされる姿は笑いを誘いますが、ファンにはたまったものではないでしょう。
とはいえ、これも含めての「御伽噺」。ブルース・リーを倒すのもまた、映画だからできることなのでしょう。この辺りもまた評価が割れそう。というか割れてる。
あと、fワードが多い。PG12故に覚悟しておくべきではありますが、汚い印象を向けられることもあるので、少なくとも万人向けではないでしょう。
後日追記・この後「パルプ・フィクション」をはじめとした、タランティーノ監督作品を複数鑑賞しましたが、むしろこれが平常運転とのこと。What a f●ck!?
というか、前に見た「ロケットマン」もfワード多めだったせいもありここ最近映画館でやたらとfワードを耳にした印象があります。
とまあいろいろ書きましたが、自分は本作に対しては非常に好意的であります。
「映画好きにこそおススメしたい」そんな映画だったと思いました。
また、本作を観て、より一層映画に詳しくなりたいとも思いました。
あと、ブラピはもしかしたらオスカーノミネート、ひいては初の受賞にいくかも、というか是非獲ってほしい。とにかく、滅茶苦茶カッコよかった。
彼の勇姿を、是非スクリーンでご覧ください。